2004年10月23日〜24日
菊川町火剣山キャンプ場

 オートキャンプは四季の移ろいの中で自然に親しむための手軽な手段の一つといえる。
一方、オートキャンプをレジャーとしてとらえると、同好者としての気安さから新たな友人知人を得ることができる手段にもなる。
 私はまだ「オートキャンプ」という言葉が一人歩きしていなかった頃、ワンボックスカーを自ら改造したキャンピングカーでオートキャンプを山中の空き地や、川原で楽しんでいた。
 そんな中、1980年のゴールデンウイークに日本の本格的オートキャンプ場としてオープンして間もなかった裾野市の大野路キャンプ場で(社)日本オートキャンプ協会主催の全日本オートキャンプ大会に参加した。そこで首都圏を中心とした先進的オートキャンパーのキャンピングカーや装備に目を見張り、いくつかのキャンピングクラブがその地域に存在することを知った。
 会場には静岡県内ナンバーの車も何台か見られ、キャンピングクラブ単位で参加しているキャンパーの楽しそうな雰囲気に触発され、静岡県にもキャンピングクラブを作ろうと、それらのナンバーを書き留めた。

 陸運事務所で車の所有者を調べ、その方々の電話番号を片っ端から調べ、一面識もない皆さんに「静岡にキャンピングクラブを作りませんか」と電話をかけまくった。その結果7家族が同年7月に再び大野路キャンプ場に集まり「静岡ファミリーキャンピングクラブ(略称SFCC)」が発足した。
 
 その後、多くの同好者と一緒にキャンプを楽しみたいとオートキャンプの普及を目的としたマスメディアへの働きかけやクラブ独自でそれまでオートキャンプなど許可されなかった静岡市の駿府公園にキャンピングカーの乗り入れ許可を取り、静岡県教育委員会後援の静岡ファミリーキャンプショーを開催し、併せて浜松ファミリーキャンプショーも継続的に開催した。

 キャンプ好きという唯一の絆で集まったメンバーはその後ピーク時には50家族近くにまでふくれあがったが、1980年半ばからはじまったオートキャンプブームが沈静化すると共に30〜40家族で推移した。

 このキャンピングクラブで地域、仕事を離れればキャンパーとして皆同じ立場になり、楽しい会話や日頃得られない情報を得ることができる数多くの知己を得ることができ、それは自らの大きな財産となった。

 SHFCCはまだオートキャンプ場が県内に整備されていない中、オートキャンプの実際を展示し、その地域におけるオートキャンプ場の整備を働きかけることも毎月のクラブキャンプの目的としていた。この活動の中では藤枝市の大平キャンプ場のように当時は石ころだらけだった場所をクラブメンバーがキャンプ場として使えるように水場の整備やトイレの設置を行っていた中で市による整備の契機となった場所もある。

 菊川町の火剣山キャンプ場は、当時は毎年春に行われるワラビ祭りの駐車場に使われていた単なる広場だった。ここでクラブキャンプを行い、一般にはインターネットなどまだ普及していない頃BBSと呼ばれていたニフティサーブにあるキャンプフォーラムの全国オフラインミーティングの会場として誘致したりして、火剣山一体を観光資源として活用しようとしていた地域協議会にオートキャンプ場としての整備を働きかけていた。

 以来、SHFCC地元メンバーのN氏の絶大なる尽力により、当キャンプ場は毎年1回は必ずクラブキャンプ会場として設定し、秋に芋煮会を行う場所として定着した。その間にキャンプ場としての整備も進み、水場、コテージ、キャンプサイトが整備され小規模ながらオートキャンプ場の体裁が整った。

 利用当初は植栽したばかりだった桜も今では春になればキャンプ場に桜吹雪を降らせるようになった。
 キャンプ場の周辺は茶畑が広がり、ゴールデンウイークの頃は新茶の摘み取り真っ盛りで、のどかな手摘みの光景を見ることができ、ほのかな茶の香りが漂う。
 秋にはキャンプ場奥にあるクルミが実をつけ、葛の花が小さく可憐な紫の花をつけ、桜紅葉がキャンプサイトに舞い落ちる。

 火剣山は大正時代まで修験道場があった山で、今でも当時の石仏などが残っている。キャンプ場からは徒歩30分ほどで登ることが出来る。山頂直下には展望台があり遠くは富士山や浜松の町を望む、360°の景観を楽しむことが出来る。
 ここからさらに夜泣き石で名高い旧東海道の小夜の中山までハイキングコースが整備されている。

 今年も好天の中N氏ご夫妻や長年おつきあい下さっているメンバーと大鍋3杯の芋煮を平らげた。このキャンプ場周辺には夏の間キャンパーからエサを頂戴し、人慣れしている狸が生息している。当夜も22時頃に狸夫婦が登場し芋煮を共に食し楽しむことが出来た。 

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