初秋の信州   2003年9月22日〜24日
 
 今年も7月、8月は夏休みを取らなかった。夏期休暇の完全消化は組織内でも口うるさい。
 取得期限の切羽詰まった9月下旬、野暮用で北海道へ行く用事が出来た。1日目の夜はすすき野で30数年ぶりの友人を含めて大いに飲み方語ってビジネスホテルへ午前様。2日目はまじめに会議をこなし、3日目の早朝、千歳発で帰宅した。
 この北海道行きは8月には予定として入っていたが、9月に入り夏休み消化のための休暇を引き続き取ってしまうことにした。
 北海道から帰った翌日、午前10時に自宅出発。決めてある目的地は白馬岳山麓の「栂池自然園」と鬼無里村の「奥裾花自然園」。北海道で出費がかさんでいるため高速道路は利用せず一般道を選択。出発して2度忘れ物を取りに引き返し、富士宮、芝川経由で52号線へ出る予定を、縁起が悪いと富士川町松野経由に変更。
 残暑が続いていたのが嘘のような秋冷、晴天の下、のんびりと52号線を行く。鰍沢町役場を過ぎてすぐに富士川の支流を渡る。ここから程なく進んだところで52号線とほぼ並行して走る広域農道を走るのがいつもの走行ルートである。甲西町、櫛形町、白根町を経て52号線に戻るこの道は春になると桃や杏の花が目を楽しませてくれる。道路の地名表示には真新しく「南アルプス市」の文字があった。2003年4月1日から南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が合併して誕生した市で、漢字とカタカナの混じった市名は珍しいそうである。国道52号線沿いと言えば南部町と富沢町も合併し南部町の名前をそのまま使っている。
 韮崎からの国道20号線は何年ぶりだろうか。中央高速道ができてからは全く走ることはなかった。20歳代の頃、冬になると毎週のように夜を徹して白馬方面へ車を走らせた想い出が蘇る。韮崎市とサントリーワイナリーで知られる白州町に挟まれた武川村は90年代後半にオートキャンプ場が次々とオープンした村であるが私にとっては日本三大桜の一つ実相寺の神代桜がある村としての印象が強い。根尾村の薄墨桜、三春の瀧桜を過去訪れているが、自宅から一番近いこの桜はまだ見ていない。山梨県白州町と長野県富士見町の境にありスキーのとき休憩で必ず立ち寄った「ドライブイン国界」は跡形もなく広い駐車場を持つコンビニエンスストアに変身していた。
 茅野では国道からはずれ、旧道の商店街の道を選んだ。中学2年生の夏、渋ノ湯から黒百合平、麦草峠、茶臼山、縞枯山の北八ヶ岳を楽しんだとき。身延線の最終列車で甲府へ着き、ホームで仮眠して朝一番の中央線で茅野駅に降りたった想い出がふとよぎったのが理由だった。当然ながら思い出の中に駅前の風景は残ってはいない。駅前からボンネットバスで渋ノ湯へ向かい、途中えらく細い道をバスが走った事だけが記憶にある。人通りの少ない商店街はあっという間に通り抜け20号線にもどる。
 諏訪の道は昔と変わらない。上諏訪駅から下諏訪を過ぎ塩尻峠に至る見覚えのある風景を楽しみながらのドライブが続く。諏訪盆地にはたくさんの日帰り温泉はもとより、デパートの地下にまで公衆温泉浴場があるが今回は先を急ぐため立ち寄りは断念した。塩尻峠を下りきると19号線が渋滞している。このまま一般道を走ると宿泊地着がかなり遅れると判断し、19号線を東にはずれ、裏道から塩尻北インターを目指す。豊科インターまでの550円は予定外の出費だが、青木湖には18時少し過ぎに到着することが出来た。

 さて、青木湖キャンプ場入り口に到着するも受付の建物に灯りはない。ガイドで調べた電話番号を呼び出すと「今から入り口へ行く」との返事。若い男が出てきたが、助手席にいる愛犬"三太≠フ姿を見て明らかに顔をしかめたその男は
 「うちはペット禁止です」
 「ガイドにはペット応談とあるが」
 「小型のペットで絶対に吠えないこと、ゲージやバックに入れておくことが条件です」
 「この界隈でペットOKのキャンプ場はありませんか」
 「さぁ、この先に何カ所かキャンプ場があるから聞いてみたら」
 姿を現したときの横柄な態度が癪に触っていたのでこれ以上の会話は無駄と判断し、終業後に呼びした詫びも言う気にならず「それじゃ」と言い残して約100m走ると「大向キャンプ場」と「青木湖荘キャンプ場」の看板が一つの入り口に並んでいるのを見つけた。湖岸に向かって下る道を行くと左が青木湖荘キャンプ場、右が大向キャンプ場の分かれ道。青木湖荘の方はバンガローに灯りが灯っているがテントやキャンピングカーの姿は見えず大向キャンプ場の方は真っ暗。
 へそ曲がりの性分がこういうときに出るのか、ハンドルは右へ。キャンプ場名の看板に電話番号が表示されている。電話番号が判明している以上無断でキャンプするわけにはいかないと連絡を取る。
 「予約もないし、誰も来ないので早めに閉めたんだけど、うちじゃなければダメなの、他をあたったら」
 「ペットがだめだと青木湖キャンプ場で断られてしまったんです」
 「・・・・・」
 「じゃあ今から行くわ、ちょっと待ってて」
10分ほど待っていると、軽四トラックが道を下って来た。車から降りたオバサンが
 「アンタが断られたのかね可哀想にね」
と三太に一言。トイレのカギを開けて、水場の電気を点けて回ってくれた後、料金を問うと1人800円、二人で1600円でいいよとの返事。トイレに近く、水場にも近い場所に車をセットし、富士宮焼きそばの夕食。暗闇の場内を三太と一緒に散歩するとこのキャンプ場は先に断られた青木湖キャンプ場と鉄条網で区切られ隣接していることが判明。大向キャンプ場がペットOKであることは青木湖キャンプ場の管理人は知っていたと推察するのが妥当だろう。にもかかわらず先ほどの私の質問には間違いなくとぼけたと言える。
 唐松林が天に開けた所には息をのむような星々、天の川も見え、近くになり遠くになるムササビの声も楽しむことができたた。
 朝8時起床。三太と散歩していると昨夜のキャンプ場オーナーが来て、寒くなかったかと心配してくれ、しばらく雑談。猫を20匹飼っていること、キャンパーが猫を捨てていくこと、全部去勢、避妊手術をして繁殖しないようにしているが、捨て猫が多く増える一方で過去増えすぎた時は涙をのんで獣医師に安楽死を頼んだことなど聞かされる。オバサンが引き返すとき、青木湖でのキャンプ場選びは大向キャンプ場に限ると宣伝しますよと約束した。

 青木湖から白馬村、小谷村は目と鼻の先。八方尾根スキー場、岩岳スキー場のまだ青々としているゲレンデや白馬シャンツェを遠望し栂池スキー場へ。冬はスキー客を運ぶゴンドラリフトとロープウェイを使って一挙に海抜2000m近くにある栂池自然園へ至る栂池パノラマウェイは1人往復3000円也。
 この料金は節約不可能と思って切符売り場へ行くとJAF割引10%割の表示がある。会員証は確か車に置いてきた免許証の中と思って諦めかけ財布を開くとポケットに会員証があった。JAFの施設利用割引制度の恩恵にあずかったのは今回が初めてである。
 乗鞍岳、小蓮華岳、白馬岳、唐松岳、五竜岳、遠くに鹿島槍ケ岳が山肌まで望むことが出来、眼下の栂池スキー場のゲレン共々、澄んだ空気の晴天に恵まれた空中散歩を楽しむことができた。 

 私が富士宮市に住んでいた23歳の頃、あるスポーツ用品店に集まる同世代でスキークラブをつくっていたことがある。普段は自分たちの車を連ねて出かけていたが、シーズン中何回か栂池スキー場へのツアーバスを仕立て、その利益で企画者グループが北海道のスキーを楽しんでいた。 私の妻はある時のツアーに参加してきたうちの一人である。雪のない栂池を見たいという妻の希望が今回の旅を思い立った理由でもある。



   栂池を後にして次の目的地である奥裾花自然園に向かった。みねかたスキー場方面へ白馬駅手前を148号線から406号線へ進む。温暖な静岡県に住む身として積雪時の運転はごめん被りたい道を鬼無里村へ入り、国道に沿った広大なチェーン脱着場で小休止。若干手を加えたインスタントラーメンで昼食。
 民家が見える風景になってすぐ、道路左側に立派な建物が出現した。看板には奥裾花温泉とある。起伏をそのままにしてある建物前の駐車場では、車があちこちへ傾いている。宿泊施設と一緒になった村営温泉の湯船はやや小さめで露天風呂はなし。屋外に風呂桶のような湯が一つあったが、光に反射した湯面を見ると垢やら毛がぷかぷか浮いており入る気にならない。室内の湯船で早々に体を清めた後、すれ違う車もない道をたどる途中公園への入山料を一人300円徴収された。
 紅葉の季節はまさに絶景であろうと想像するに難くない岩山の迫る渓谷が続き、葛折りの坂を登り切ると広い駐車場が現れる。道路は先まで続いているが、遮断機のように棒が渡され進入禁止になっている。とりあえず駐車場から公園方面へ三太と一緒にぶらぶら歩く。ナナカマドの実が赤く色づき、所々でウルシが色づいている。
 予定では駐車場に隣接する奥裾花キャンプ場で泊まる予定であったが、管理事務所になっている観光センターは無人。入園料を徴収していたオバチャンは誰かいるはずだからと言っていたが肩すかし。到着時4台いた車は次々と駐車場を出て行き、新たに到着したアベックの車と工事業者の車とおぼしきバンが1台。日が山陰に入り薄暗くなってくると、1台だけでそこに泊まるのがイヤになり始めた。くねくね道だが30数キロ離れたところに戸隠キャンプ場がある。妻も心細いと言うことでセットした車を元に戻し戸隠へ。数分前に駐車場を出て行ったのろのろ運転の長野ナンバーにすぐ追いつく。しばらく接近して後を走ると待避所で向こうがよけた。戸隠神社、中社界隈は軒並みそば店が並んでいる。戸隠キャンプ場には1時間かからずに到着できたが、ここも受付の建物はカーテンが閉まり、真っ暗。ガイドにある電話番号へ連絡すると出たのは役場の当直職員だった。客はいないから適当に利用し、翌朝職員が出勤したとき料金を払ってくれればよいとの返事。広いキャンプ場にキャンパーは2パーティだが互いに100m以上離れている。サイトは草地になっている。他の2パーティから距離があり、彼らが利用することはないトイレと水場に至近の空き地に車をセット。ラジオの天気予報は翌日は雨と伝えていた。
     
 昨夜は暗闇でキャンプ場の全貌をうかがうことが出来なかったが2パーティの一つは幼児のいる親子、もう一つは小学生とおぼしき子供のいる家族だった。白樺林が所々にある全面草地のキャンプサイトは緩やかな傾斜がある。隣は村営の牧場で、キャンプ場から徒歩で行くことが出来る。朝食も終わり、撤収の準備をしていると雨が降り始め、キャンプ場を出る頃には本降りとなった。利用料を払うため受付に行くと、サイトに入っていなかったからと駐車料金の1000円を請求されたのみだった。
 
 
 今回の旅は当初3泊4日の予定で、戸隠、奥裾花、青木湖の順に宿泊するつもりであったが、雨天となってはキャンプをしながらの旅の楽しみも半減する。またここ数ヶ月心臓に負荷がかかると異常に心拍数が増加し、時として左胸に痛みがでていたため、妻と相談の上この日で帰宅することに決定した。
 飯縄山の北側のルートを選び長野市に向かう。東山魁夷美術館に寄ろうと向かったが休館日だった、近くの善光寺は妻も私も訪れたことがあり横目で見て再び市内へ。国道18号線(長野バイパス)に入ると大渋滞にまきこまれ、30分で数百メートルしか進まない。しばらくは我慢して動いたり止まったりしていたが、カーナビを見ると千曲川を挟んで国道403号線が走っている。こちらの道だ!とハンドルを切りしばらく進むと前方に長野オリンピックのスケートや閉会式の会場になったエムウエーブが見えてきた。この手前をから細い集落内の道を進み、千曲川を渡りなんとか403号線に出ることが出来た。渋滞で時間を取られたため上信越自動車道を長野インターから上田菅平まで利用することにして、前も後ろも車の見えない道を進むと「ナメコ栽培発祥の地松代」の看板が農協の入り口に立っている。奥を見ると農産物直売所もあり立ち寄る。ブドウ、梨、リンゴ、その他がかなり安い値段で売られており、ついつい買い込んでしまい、節約旅行の趣旨から離れ気味。農協から長野インターまでは1km程の距離。あの渋滞に入ったままだったら今頃どうなっていたかと思いつつ、快適に上信越道を進む。更埴インターと上田菅平間は長いトンネルが続く。"よくもこんなに長いトンネルを掘ったものだ"と極めて単純、直感的思いが巡る。

 昭和30年代初め、藤枝市の青年学級が高田市(現上越市)の青年学級と秋のミカン狩り、冬のスキーと交換会を行っており、藤枝の青年学級に関わっていた父と小学生だった兄と私は東京回りで蒸気機関車の引く信越線の夜行列車の中にいた。なかなか眠れず、初めての夜行列車・スキーにと青年達のうきうきとした雰囲気がさらに眠気を遠ざけていた。碓氷峠のアプト式機関車、何回かのスイッチバックも新鮮な驚きだった。そのときに上田という駅に停車した記憶がかすかに残っている。
 小学高学年になってからは猿飛佐助が登場する真田一族を扱い、沼田城、岩村田城なども登場する「上田城物語」を読み戦国末期の歴史ドラマに想像をふくらませた。これはその後の誕生した長男に「信幸」と命名した理由にもなっている。

 また、郷土史研究を趣味とする父は静岡県藤枝市の田中城を調べているとき、田中藩が今は長野県立科町芦田古町にある芦田城を本拠とする依田氏の領地だったことを知り現地を訪ねた。中学1年生だった私はこのときに同行している。信越線上田駅の一つ東京寄りに位置する大屋駅からかなり長い時間をバスに揺られて着いた江戸時代の面影を残しているような砂利道の立科街道沿いで、泥や埃にまみれていた芦田集落の風景が脳裏に残っている。

 社会人になった一時、宿泊費が安く、こじんまりして混雑のない高峰高原スキー場(現アサマパーク2000スキー場)に何回か通った頃があった。当時このスキー場へ向かうには芝川から52号線で韮崎へ出て、清里、野辺山、海ノ口を経、佐久から小諸を通りチェリーパークラインなるつづら折りの道を辿って行った。
 栂池スキーバスツァー以後つきあいを始めた私達は当時軽四では画期的な水冷エンジンのスズキフロンテGTWでこのスキー場に行ったことがある。夜中に到着しアイドリングでヒーターを入れたまま仮眠し、夜が明けリフトが動き出した頃エンジンを止め、念のためキーを回すとバッテリーが上がってしまいセルモーターは無反応。こうなるとスキーどころではなく、バッテリーコードは持っていなかったが、普通のビニール被覆コードが積んであったため、隣りに止まっていた車にバッテリーを貸して欲しいとお願いしたところ快い返事で、なんとか再始動でき、すぐさま雪の降る中、夜中に走った道を富士宮まで舞い戻った事があった。

 上田・小諸・佐久周辺は斯様な想い出を私に残してくれた地である。また、懐古園の名を見ると、島崎藤村の父子との不和に考えが及び、私と父、そして私と息子達との関係に心は行き着く。

 小諸市内で国道18号線から141号線に入るが、これを道なりに進むと佐久市街を通過する。とかく車の多い道の嫌いな性分は、しなの鉄道東小諸駅横の陸橋を渡り、国道か県道か判然としない78号線を南下し、千曲川を渡り142号線に出る。ここからは田圃の中の1本道、鯉料理の看板が目に付く。再び141号線にぶつかれば後は韮崎まで1本道。心配した野辺山辺りの霧もなく、52号線経由で18時頃に無事帰着した。
 
【後日談】
  高血圧薬、高尿酸血症で投薬してもらっている内科・循環器科が家のすぐ近くにある。家から 歩いて5分以内の距離にこの医院を含め外科、胃腸器科の三つの開業医がいるが、一番短い待ち時間がこのかかりつけの病院である。今年7月の人間ドックで糖尿病が境界域から一歩進行した状態になっていると宣告され、再検査をしてあったので検査結果を聞きがつら、胸の痛みを申告した。心電図には特に異常は見られなかったが、申告の症状は心筋梗塞の疑いが濃いということでニトロを処方され、この日から自宅、職場の引き出し、軽帯電話ストラップに付けたピルケースの中にニトロの錠剤が存在することになった。
  ただ、その後時折胸に若干の痛みを感じるときはあるが、幸いなことに未だ服用はしてはいない。    


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