2004.11.20〜21

伊豆修善寺:まほらまワイルドキャンプ場



 1988年に朝霧高原にある西富士オートキャンプ場に丸太小屋を建てた。キャンプ場内の杉・檜を伐採することからはじめた丸太小屋作りだった。このときは取っ掛かりから実質1年半で完成した。
 2001年、修善寺町と中伊豆町の境に位置するまほらまワイルドキャンプ場のオーナーと話をする機会があり、その地の山林の話題になったとき朝霧高原の丸太小屋造りの経験を伝えたところ、山
にある杉・檜を自由に使って構わない、小屋の建設場所も提供すると言うことになった。

 朝霧高原では全くの素人、雑誌などを参考に無手勝流でも何とかなった。今回はそのとき蓄積したノウハウがあると仲間に声をかけ建設に踏みきった。2001年10月のことだった。
 まずは建設場所から谷を隔てた山での伐採作業から手がけたが、ここで大きな誤算をしていたことに気がついた。1988年は40歳、2001年は53歳、その間の体力の衰えを計算していなかった。朝
霧高原時代と全く同じに体が動くと思っていたのである。

 高さ20m以上ある杉・檜を切り倒したあと葉枯らしした後でも枝を払って山から引き出そうとしてもびくともしない。通常の寸法切りより長い4.5mで刻んでも一人の力ではまず動かない。2、3人で引っ
張り出し地に這いつくばってゼイゼイハァハァすることを繰り返していた。
 途中でキャタビラで走行するクローラの世話になったが、これへの積み下ろし、皮むき場での積み下ろし、建設場所への運搬などで体力を使い果たすため、作業は土曜日に行い月曜日を控える日曜
日は休養日に当てていた。

 そんな苦労を経て、丸太が一本、また一本と積み上げられ、3年の歳月が流れ今年でなんとか完成する目鼻がついた。作業も最後の追い込みに入り、11月20日、21日と私だけが泊まりで作業し、仲
間は21日だけの作業となった。

 11月15日に狩猟が解禁となり、近年生息数の増加した鹿は恰好の狩猟対象となっている。伊豆も山中の道路を車で走っていると鹿と遭遇する機会が珍しくなくない。丸太小屋の周りでもオレンジ色の
ベストを着てライフルを片手にする連中がうろうろするようになった。森林・作物被害を被る人々が徹底駆除を主張するのも肯けるのだが、心情的に狩猟は好きになれない。銃という手段を用いるなら、鹿
やキジにも銃を持たせて対等に戦うなら狩猟を認めるというのが私の主張である。

 遠くで鹿を追う犬の鳴き声を聞きながら、何ともやるせない思いで、丸太の合わせ目にコーキングする作業を進める。周囲の山々は台風22号により木々の枝葉が引きちぎられ、今年の紅葉は期待でき
そうもない。キャンプ場内も倒れたままで放置されているされている木がある。そんな強風にもビクともしなかった丸太小屋に新たな愛着を抱くようになった。

 秋の日は短い。16時半ともなると夕暮れの趣が連なる山々から丸太小屋周辺を包み込む。人気のない山の中では暮れなずむ景色が一段ともの悲しいものになる。
 中伊豆の下白岩温泉へ行くつもりもあったが、下る道が今は通行可能だが、台風のとき土砂崩れでしばらく普通になっていたと聞き止めにした。修善寺や天城湯ヶ島の日帰り温泉も選択肢にあったが山
を下りまた上って来ることを考えると億劫になり車のシャワーで我慢することにした。

 今年8月からとうとう糖尿病の薬を処方される身にアルコールは芳しくない。焼酎ならOKという説もあるがこれとてあくまでも適量が条件で、飲むならば一定水準以上やらなければストップスイッチが入ら
ない質には最初から飲まない方がマシである。と、うそぶいてみるものの口は寂しい。そこで近頃はアルコール0.1%以下のビールテイスト飲料でその場を凌いでいる。この夜も、コカコーラ社発売のそれ
とコンニャク増量のおでんで「一杯」となった。

 暇を持て余しラジオに聞き入っている内に眠りこけ、22時過ぎ尿意で目が覚めた。空には上弦の月、小さな星を消す明るい夜空にオリオン座が輝いていた。鹿の遠音に「撃たれるんじゃないぞ」と心の中
で呼びかけシュラフにまたもぐり込む。酔いが回ることもないビールテイスト4本がじわりじわりと効き、その後2回目覚めた。月が西に隠れた後の夜半の目覚めでは見事な星空に寒さも忘れ天を仰いでいた。

 21日は仲間が到着する前の8時から作業開始。その後4人の仲間が加わり作業も急ピッチで進み、12月はじめの落成が目に見えてきたワーキングキャンプであった。